弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

〈97年組〉とCymbals ――時代の終わりのショービジネス

 先日、身近にいる方々が行っている、おすすめのCD交換会に参加したんですね。

そして、持ってきたCDの出品理由を書くことになったわけですが、それが妙に長くなっちゃったんですよ。なので、久しぶりにブログの記事としてドロップすることにしました。ここに飛んで頂ければ全部説明できるように、こちらの方が便利だと思いましたので。

まあ、よく読んでみればいつもと同じようなことしか書いていませんが、お付き合い頂ければと思います。

anthology

anthology

 

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 戦後から続く経済成長が終わり、バブルの崩壊、95年の暗い出来事を経て、長かった「昭和」は89年をオーヴァーランし、90年代にまでその余韻を残してゆっくりと終わっていくことになる。その時代に起きた変化は、現代思想では「大きな物語の崩壊」と呼ばれていて、ざっくりと説明してしまうと「人々がみんなそろって同じような幸せな未来を夢見て、同じような目標へ向かって、『物語』を歩んでいた時代」から、「その夢が実現しないことに気付いてしまって、何を目標に進んで行けばわからなくなってしまった時代」へ変わっていった10年間だった。「みんな違って、みんないい」の時代になるのはもう少し先のことだ。

 そんな90年代の初頭に日本で流行していたのは、海外の音楽を編集・再構成して世の中に送り出す、「渋谷系」の文化だった。小室哲哉のプロデュースする音楽が世を席巻する裏で流行に敏感な一部の若者を取り込み、渋谷系は音楽を中心として都市に広がる、90年代を象徴するカルチャーになっていった。若者たちは、それまでのドメスティックな流れを汲んだ文化とはまるで違う、見たことも聞いたことも無い文化に過剰に反応することになる。景気は良くなる見込みが無く徐々に暗くなっていく世の中で、真綿で首を絞められながら、当時の若者たちは「ここではないどこか」を夢見ていたのだ。そんな「ここではないどこか」への志向は、もう少しシンプルに「海外への憧れ」と言い換えてもいい。最も、彼らの抱いていた海外のイメージが正しいものかどうかはまた別の話である。

 90年代の大きなターニングポイントになったのは、ディケイドの折り返し地点、95年に起きたオウム真理教の一連の事件だったと言われている。当時のエリートたちが、人々に優しい「夢」や「目標」を与えてくれる、大きな存在への「信仰」に傾倒していく中で起きてしまった事件は、90年代の世の中に「夢」が無くなったことを象徴する出来事だった。

 世間で起きた出来事の余波が文化に伝わるのには、いつだって数年間のラグがある。いわゆる「失われた10年間」が経済とは裏腹にCDが一番売れた時代であったように、95年の余波が現れるのはその2年後のことである。日本のオルタナティブ・ロックに大きな影響を与えることになるロックバンドが複数デビューしたのが、1997年だった。代表的なバンドとしては、くるりナンバーガールスーパーカーなどが挙げられ、その世代のロックバンドたちを一括りにして「97年組」と呼ぶこともある。

 90年代の終わりに現れた彼らの存在は様々な方向から解釈が行われているが、渋谷系から97年組へ、という音楽の聴かれ方の変化は、ロックバンドの「文学性」にあったのではないかとぼくは考えている。言ってしまえば、若者たちに「共同幻想」を見せるための装置として機能していた90年代前半の文化に対して、90年代後半の文化に課せられたのは、物語からこぼれ落ちてしまった若者たちをすくい取る、という役割だった。当時の若者の抱えている衝動や閉塞感、メランコリックを代弁するため、ロックバンドは「いま、ここ」を描く「文学」になっていったのだ。

 

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 そんな97年組と時を同じくしてデビューしたのが、シンバルズだった。ぼくは当時をリアルタイムで見ることはできなかったが、ギターロックが流行の中心となっている時代に、女性のボーカリスト土岐麻子を中心に置き、メインコンポーザーであるベーシスト沖井礼二と、ドラマーの矢野博康、というギターレスの3人編成でデビューしたシンバルズが異質な存在であったことは容易に想像できる。後に「ポスト渋谷系」という言葉で語られることになるシンバルズは、海外の音楽から強い影響を受け、デビューシングルこそ日本語詞であるものの、全編英語詞の曲も多数あるような、文字通り「遅れてきた渋谷系」と言うべき存在だった。

 ロックが文学となっていこうとしている時代、シンバルズはファーストアルバムに『That’s Entertainment』と名付ける。「Show Business」という曲から始まるそのアルバムは、軽快なギターポップと茶目っ気のあるボーカルが印象的な、文字通り「エンターテイメント」のアルバムである。くるりが男性的なセンチメンタルを、スーパーカーが虚無のなかにある快楽を歌っていた時代に、シンバルズが試みたのは、シンガーソングライター的な自作自演の文学的な音楽を作ることではなく、パーソナルな自己表現を排してエンターテイメントに没頭していく、「ショービジネス」だった。

 結局、シンバルズはミニアルバムを2枚、オリジナルアルバム4枚をリリースして2003年に解散してしまう。オリジナルアルバムの変遷を追うなら、「ショービジネス」の1枚目、軽快なアメリカ映画音楽のような2枚目、ひとつだけエレクトロニカに傾倒した3枚目、総決算の4枚目、といったところだろうか。代表的な97年組のロックバンドと比較したとき、シンバルズの知名度はどうしても低い。それは後の時代に才能のあるフォロワーを生み出すことができず、彼らが「いま、ここ」を描く文学になり得ない存在だったからかもしれない。別の言い方をすれば、夢が無くなってしまった時代に現実から距離を置き、懸命に夢を描こうとしていたのがシンバルズだった。 

 

That's Entertainment

That's Entertainment

 

  現在のシンバルズは、土岐麻子はソロシンガーとして、ベーシスト沖井礼二とドラマー矢野博康はプロデュース業の傍ら、作詞作曲家として活動している。中でも注目すべきは、アイドルグループ、アイドル声優に楽曲提供をしながらベーシストとして新しくバンドを結成して活動している沖井礼二である。

 90年代からゼロ年代にかけてロックは文学となっていったが、それからまた10年の時を経て、音楽はまた「ショービジネス」の姿を取り戻そうとしている。その中のひとつが、楽器隊の編成や作家のパーソナルな自己表現とは無縁の世界でパフォーマンスを行う、アイドルカルチャーの流行である。最近ではアイドルグループや歌手活動を行う声優、主に竹達彩奈に楽曲提供を行い、プロデュース、ライブにもベーシストとして参加している。アイドル声優の楽曲は、「アーティスト的な」物語とは無縁で、パーソナルな自己表現が生まれることのない「ショービジネス」の世界に最も近い音楽だとぼくは考えている。ロックバンドの周辺でもギターロック的なマッチョイムズとは無縁なところで音楽の快楽を追求するミュージシャンが登場しつつあるのも事実であり、どういう風の吹き回しか、至るところで「ショービジネス」の追い風が吹いている。恐らく、長い間世の中を席巻していた、閉塞的な「文学性」に嫌気が差した音楽ファンが多かったのではないかとも思っているが、それはここでは言及しない。

 

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 沖井礼二は今年、シンガー清浦夏実とロックバンドTWEEDEESを結成し、その活動を徐々に活発化させている。ファーストアルバム『Sound, Sounds.』は、シンバルズ的なサウンドと現実から距離を置いた世界が、竹達彩奈に提供した楽曲のようなナラティブな歌詞と共に描かれる。作詞・作曲は沖井礼二だけでなく清浦夏実も参加しており、世代の離れたふたりの共同作業の中でTWEEDEESがこれからどんな音楽を生み出していくのか、10年代に沖井礼二がどんな「ショービジネス」を行うのか、興味深く追いかけなければいけない。その手始めとして、シンバルズを今のうちに聴いておいた方がいいだろう。

 

 と、いうことでCD交換会に出品したシンバルズのベストアルバム、『anthology』である。本当だったらファーストアルバムを持って行きたかったんだけど、新品で手に入らなかったので、入門編だから、という言い訳でベストアルバムにした。現在、シンバルズのアルバムは新品でも中古でも、あまり流通していないのだ。よく見たらレンタルで聴いているオリジナルアルバムに収録されていない曲もちらほらあって、むしろもう、ぼくが欲しい。