弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


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カラスは真っ白と「レイヤー」の話――〈踊れるロック〉の終わり? part.3

 久しぶりにライブレポート欲に駆られるライブを観た。

 

 だいぶ前の事になってしまうのですが、TWEEDEESとカラスは真っ白の対バンライブに足を運んできました。アット渋谷WWW。

 まあ楽しかったですよ。TWEEDEES/沖井礼二については以前の記事でも言及したので、今回はもう片方のカラスは真っ白。そう、カラスは真っ白ですよ。変わったバンド名だけに、なにについて書いてるのかわけわかんないっすね。

ヒアリズム

ヒアリズム

 

 

 時は遡って約2年前。ぼくは「踊れるロックの終わり?」という記事を書いたわけですよ。当時は「4つ打ち」という言葉が徐々に認知され、叩かれだした時期で、ぼくはその記事で「もう縦ノリロックの踊れる要素は蒸留・抽出が済んでしまっているから、これからもっと流行ることは無いだろう」的なことを考えていたわけですが、まあそうそうイメージ通りに行くはずもなく。まだまだそういうトレンドはありますよ。ブームを創りだしたテレフォンズは活動休止、オカモトズもまだまだブレイクスルーを起こせていない。

boshios.hatenablog.com

(なんか妙に読まれてるんだよね、この記事)

 

 でも10代が4つ打ちでワオワオ言っている一方でそのノリに着いていけない大人は何を聴けばいいのか、という中で「シティー・ポップ」という言葉がまた持ち上げられだして。恐らく「ニュー・ミュージック」という言葉と一緒に使われていた時期とは全く違う意味で語られているのだけれど、それってドリーム・ポップなんじゃね、というツッコミが入ることもあるようですね。まあそもそも「シティー」ポップ、街の音楽なんて一体どういう音楽かわけわかんない言葉なんで、もっとこう、適当に使っていけばいい言葉なような気もしますけどね。もう「渋谷系」に続くバズワードですよ。いっそ、漠然と「都市」を感じたら、もうシティー・ポップでええやんみんなが好きなお散歩音楽、全部シティー・ポップでええやん、とも思います。

 ともかく、Jポップという言葉が生まれる以前の日本の音楽を上手に解釈して、それに別ルートからのダンス・ミュージック/ブラック・ミュージックを調合して、「もうライブで汗だくになる歳じゃないしね…」っていう大人に向けた音楽にして流行っているものもある、という。まあ面白い話です。

 

 昨今の4つ打ちの流行が叩かれているのも、ざっくり言ってしまえば「音楽がひとりで楽しむものでなくなっている」、それが「文脈が浅く、すべてが同じようなものになっている」、そしてなによりもその2つが「大人にウケていない」というのが問題なんですよね。

 この文章はハロウィーンの喧騒の最中に書き進められているわけですが、要するに10月31日に仮装して渋谷に繰り出すような、日常を上書きする「非日常感」と、その「共有」が音楽にも求められるようになっている、というだけで。

 うんうん、10代はそういう発散の場所とお祭りが欲しいんだよね。酒を飲んでバカ騒ぎすれば腹の虫が収まるおっさんとおばさん方は引っ込んでましょうよ。ね。 

 

 

 まあそんな話はいい。カラスは真っ白の話です。

 2年前のぼくの主張内容は、4つ打ちが流行することによって、いわゆる「ブラック・ミュージックの匂い」と言われるような音楽の「揺れ」とか「うねり」とかが徐々に失われてしまった、という話でした。その流れとしてオカモトズに注目したわけです。

 で、「揺れ」「うねり」を説明するときに、ぼくは音楽を拍にそってきっちり分け、「揺れ」を失わせるものとして、「レイヤー」という言葉を使ったわけですよ。そういえば、ceroのアルバム「obscure ride」発売時にホームページに掲載されたロング・インタビューでも、リズムの揺れについての話がありましたね。

 

 話を戻しますね。レイヤー。そう、レイヤーです。

 世間一般では「超高速Pファンク」なんて語られているカラスは真っ白ですが、一言で言ってしまえば「メチャクチャ速い曲の一小節を平気で16分割するバンド」です。「ファンク」とくくられると、どうも「揺れ」やら「うねり」やらを大事にして音楽をやっているのかな、と思われがちですが、違う違う。逆、逆

 カラスは真っ白は、むしろ「〈超〉レイヤー的」なバンドです。

 

 カラスは真っ白にはシミズコウヘイという恐ろしいギターヒーローがいるのですが、まあ、作曲をこなし、メチャクチャ速いカッティングで演奏をぐいぐい引っ張って、なおかつ華がある、というとんでもないギタリストですよ(もちろん、他のメンバーもとんでもない演奏技術を持ち、かつ華がある方々です)。そんな優秀な演奏隊が一丸となって、正確無比に一小節を16分割してビートを刻んでいく。もう、そこにリズムの「揺れ」が入り込む余地はないですよ。

 

 しかしまあ、「速い」かつ「超レイヤー的」なバンドなら、恐らくロックが高速化するこの時代、いくらでもいる。むしろ「速くすりゃいいんじゃね?」っていう時代だから、速いことよりも、「遅い」演奏ができることのほうが個性になる

 なら、カラスは真っ白がどうしてすごいのかって、彼らはとんでもない演奏技術でガチガチに固めたレイヤーを、意図して崩していくんですよ。

 

 例えば、ヤギヌマカナのボーカル。力の入っていない声は、拍やレイヤーを守るというよりも、演奏にただ「乗っかっている」ようなもの。細かいリズムに細かく言葉を乗せていく、というレッチリメソッドの真逆を行く方法論で、レイヤーの内側に入り込むことなく、言葉を乗せていく。そしてギターを持つ場面はあれど、ヤギヌマカナは演奏にそこまで深くコミットすることはない。要所要所でギターを弾いて、音に厚みを出す程度。

 そのうえ演奏技術の高いバンドだからこそできる、要所要所でのテンポ、リズムパターンの変化。いわゆるスローカーブがうまい投手だからこそ、普通のストレートがメチャクチャ速く見える」理論で、細かいリズムだからこそ、それが大きくなった時にカタルシスが起きる。そのスパイスの効かせ方が作曲・アレンジのレベルだけでなく、バンド全体のレベルで活かすことができる。

 そして結局は、シミズコウヘイのギターがとんでもない。レイヤー的音楽では意図的に排除されるようなギター演奏レベルでの「揺れ」、チョーキング、速弾きのときの「タメ」やビブラート、楽器自体の「ルーズさ」を活かしきるギターフレーズで、演奏隊がガチガチに固めたレイヤーを思いっきり突き破っていく。その様子の、まあ爽快なこと爽快なこと。

 それも全てが、彼らが崩していくだけのとんでもなく頑丈な「レイヤー」をつくり上げることができるからで、だからこそ、レイヤーを突き破るこの3つがメチャクチャに効いてくる

 以前の記事では「レイヤー」という言葉をリズムから読み解いていったわけですが、彼らの場合はもっと大きなレベルで「レイヤー」の感覚を捉えていて、強固なレイヤーを組み立てていったうえで、それを破壊していくことがとんでもない持ち味となっているのです。

 

 抽象的なことを言ってしまうと、「レイヤー」やら「枠」、「ルール」、「構造」というのは、基本的には、それに「ハマって」、内側に「取り込まれていく」ものです。そしていつの間にか、ルールなくしては物事を考えられなくなって、思考がレイヤーに捕らわれていく。こんな「レイヤーの内在化」もややこしくて面白い話(修士論文のテーマだった)なんですが、今日はパス。もう思い出したくもない。

 それでもってまあ、「ルールは破るもの」といった言葉が全てを言い表していて、構造とかレイヤーも「破ること」に意味がある。結局、「その構造を逆手に取る」か、「レイヤーをぶっ壊していく瞬間」にカタルシス、一番大きな力が生まれるんですよね。

 「ミュージック」にて、サカナクションガチガチの電子音楽をやりながら最終的には生演奏に主権を戻したように、人気トラックメーカー、DJたちがオートメーション化せずにステージに立ってパフォーマンスし続けるように、結局いくら電子音楽をやっていてもレイヤー、ルールから離れていくっていうのはコンピューターにはできないことですから。尾崎が校舎の窓ガラスぶち破ってる絵を想像してくださいよ。ロボットに「窓ガラスを破れ」とプログラミングしたところで、それは「ルールの中で行動した結果、窓ガラスを破っている」だけなわけですよ。それはレイヤーが広がっているだけで、そこを突き破っているわけでも、逃げ切っているわけでもなんでもない

 ちなみに、みんな大好きtofubeatsの「衣替え」という名曲があるのですが、このイントロの「泣き」のフレーズも、キーボードのフレーズを人力でレイヤーから「ずらしていく」ことがメチャクチャ効いているのは明白で、彼はこういうパフォーマンスをさらっとやってのけるわけです。

 

 しっちゃかめっちゃかになってきたところでそろそろこのお話も締めたいのですが、何が言いたいのかというと「カラスは真っ白、見とけ!」っていう話です。あまり批評的なスタンスを出していかないバンドなのでどこまで意図的なのかは読めませんが、現在のトレンドをとても上手に読み解きながら、ロックバンドでここまでライブ映えする破壊力のある曲と、きちんとショーアップされたステージで曲を聴かせるだけでなく「魅せること」を非常に意識していて、華のある楽器隊男性メンバーがいることによる「女性ウケ」と、女性ボーカルのロックバンドとしても聴ける「男性ウケ」を同時に獲得できている、全方位向けのバンドってそうそうないと思います。

 

 新しい勢力がぼちぼち登場しつつも、一向に収まることのない現在の流行ですが、「踊れるロックの終わり?」は適当に適当に書き足していくつもりですので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 という感じで、今日はここまで。