弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

嗤ってみせて。

 彼女の笑顔の裏を見ようとしていた。
 自分が笑えば、茶色い髪の毛がふわふわ揺れることを知っているかのようだった。僕が、彼女の八重歯をもう一度見たいと思っているのを知っているかのようだった。自分が笑えば、自分の半径数メートルの内側で何が起きるのかを全て知っているかのようだった。彼女はいつも、そんな笑顔を絶やさなかった。
 僕は彼女に視線を吸われながら、この行動は自分の魅力を全て知りつくした上で行われているものなんだ、と自分に言い聞かせる。今は僕の前で笑顔を作っていても、クラスのアイドルである彼女が僕に興味を持つはずが無い。ここで動揺したら彼女の思うツボだ。
 僕が必死に地に足のついていない言葉を紡ぎだすと、彼女の目が正面から僕を捉えた。ちらりと目があっただけで、僕はすぐに視線をそらせる。彼女の声と共に細い両腕が宙を舞い、袖から少しだけ覗く指先が僕の顔の前に一瞬だけ白いラインを描く。僕の目はそれに導かれ、再び彼女の八重歯に落ちていく。


 えげつない魅力を持っている女の子を前にすると、いつも自分の卑屈さが邪魔をする。彼女に近付いたら何か痛い目を見るのではないか、彼女をかわいいかわいいと言っている他の男と同じ立場になるのは嫌だ。そんな感情がじわじわと滲み出て、本当に彼女に近付いていいのかわからなくなる。名字を呼び捨てにしていいのか。どの程度の冗談なら言ってもいいのか。どうやって友達と自然な会話をしていたかも思い出せなくなって行う不安定な会話は、暗闇を全速力で走り抜けるようだ。彼女が笑顔の奥で僕を冷静に眺めているんじゃないか。一瞬でもそう思ったら、指一本動かせなくなってしまう。

 多分、僕は彼女の前に自分で作った彼女の姿を見ていた。僕が彼女を遠くから眺めていた時間はあまりにも長かったから、自分のイメージの中にしか存在しない彼女を、いつのまにか彼女自身だと思っていたのだろう。自分が勝手に作った彼女の姿が、正しい彼女の姿であるはずが無かった。いや、本当の彼女なんてものはどこにも存在しない事なんてわかっている。しかし、彼女は彼女なりに、僕に見せようと思っている自分の姿を身にまとって、目の前に立っていたかもしれなかった。彼女が思うなりの本当の自分の姿でいたかもしれないし、いつもより明るく振る舞っていたかもしれない。しかし、彼女のそんな姿ですら、無駄に固まったイメージを抱えている僕の目には入らないのだ。

 僕が作り上げたイメージの彼女は、いつしか陰でおぞましい笑顔を作るようになってしまっていた。それが僕に見えているはずの彼女の姿を曇らせ、よく見えなくなしていた。そのモヤを取り去れば、いったい何が見えて来るのだろうか。その時まで、彼女の八重歯がただのチャームポイントかそれとも悪魔の牙か、よくわからない。