弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

オー・マイ・スイート・ダーリン

きみのためなら、死ねる。

 個人的には、これくらいのテンションは嫌いじゃない。愛とは常に犠牲が伴うもので、それくらいの覚悟があってもいいのかもしれない。しかし、彼女から「単位落としそうだから、あなた死んで」と言われたら死ぬのだろうか。いや、俺が死んでも君の単位はどうしようもないだろ。「違うの。教授が、あなたが死んだら単位くれるって言ってるの」と言われてしまったらどうしようもない。そう、彼女のために死ねる瞬間なんて、限られているのだ。そして、その場面には普通に生きていたら巡り合わない可能性が高い。死ねる、なんて自己満足の発言でしかない。それに、相手から「重い! 重いよ!」と言われてしまったらそれまでだ。それに自分としては、君のために死ぬより、這いつくばってでも、醜くても、君のために生きて行くのが正しい愛の姿だと思うのだ。

きみのためなら、例え火の中水の中。

 それなら、『火の中水の中』というのは具体的に何処だ。『ビル火災の時…』『溺れている時…』という事なら、君の賢い行動は119番通報などプロの人にお願いする事だろう。日常生活で通る危ない場所なんて新宿歌舞伎町程度で、たかが知れている。それに加えて問題は『火の中水の中をわざわざ通っている彼女の気持ち』だ。『自分が諦めるようにわざとここを通っているのか?』と一瞬でも思ったら、こんな発言は絶対にできない。

きみのためなら、深夜料金のタクシーで駆けつける。

 終電の時間を過ぎてしまい、車もバイクも持っていないからせめてタクシーで、と言う事か。しかし、それでタクシーと言うのが納得できない。おそらく、そんな時間にタクシーはすぐに捕まらない。捕まるまで、君は自宅前の交差点で立ちっぱなしになる訳だ。タクシーを止めるまで我慢できずに、走り出してしまうぐらいの心構えは持っていて欲しいなあ。それに、深夜料金のタクシーという言い方は、金に物を言わせているように見えて仕方が無い。金銭面では無く、身体的に自分を追い込んで欲しいものだ。加えて、『呼んでくれれば行くから!』という受動的な姿勢では無く、能動的な姿勢も欲しい。助けてほしい時に助けてくれとは言えない。君がタクシーを待っている間にも、彼女は『火の中水の中!』という人間に跡をつけられて怖がっているに違いない。

きみのためなら、1限が始まる1時間前に大学に到着できる。

 なるほど。身体的努力を無駄な方向に向けた事は評価しよう。今の君が彼女のためにできる事なんて、今の所はそんなもんだ。深夜に駆け付ける手段は無いから、せめて朝早く行こう。「単位落としそうだから、明日早起きして大学来て」というお願いをされ、それで彼女の単位が守られるのなら、自分は朝日と共に目覚めよう。そして、その後は彼女と一緒に朝の公園に行こう。青々とした芝生が一面に広がっている公園だ。君は、彼女の白いブラウスが反射した朝の光を、彼女が身体から放った光だと勘違いする。眩しくて目を細めた君を見て、彼女は、変な顔、といって笑うだろう。そんな君達の姿しか見えない。笑っている彼女に一言、君はこう言うんだ。

きみのためなら、何かができる。

 え、何かって何だって? 細かい事は気にするな。彼女のために早起きできないような奴が、彼女のために死ねるわけ無いだろう。そう、君は今、大事な一歩を踏み出した。これから先、君は彼女のために再び朝日と共に起きるかもしれないし、深夜の街を全力疾走するかもしれない。火の中水の中を行くかもしれないし、命を落としてしまうかもしれない。その時のため、今は朝日に輝く彼女の姿を、その目にきちんと焼き付けておくといい。