弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

家に帰ってビールを飲もう

 いつまでたっても、夢の国が持つプレッシャーに勝てない。
 例えば、友達、好きなあの子とグループで遊園地に行くとする。次に乗るアトラクションは2人乗りだから、男女ペアになるようにグーチョキパーでグループ分けをしようと誰かが提案した。その結果、あなたはお目当ての彼女と隣で乗る事になった。滝や噴水などがある大きな池のような場所を、乗り物が滑って動くという単純な物である。列に並んでいる最中はグループの皆がいるから、一番口数の多いあいつに合わせていれば何とかなる。しかし、問題はアトラクションに乗りこんでからだ。

 あなたは、アトラクションに乗った瞬間に何を喋っていいかわからなくなる。ただ叫んでいればいいアトラクションじゃないからこの間はなんとか喋って埋めなければいけないのに、喋る事が見つからない。

 アトラクションの事? 噴水や滝、乗り物の動きについて喋る事なんてひとつも無い。
 夢の国の事? そんな話題は、午前中のうちに終わってしまっている。
 昨日大学であった事? いったいそれは、夢の国に来てまでする話題なのだろうか。

 夢の国に限らず、非日常の場所はそこにいる人間を高揚させ、日常のわずらわしい出来事を心の中から追い出してくれる。だからこそ、旅行や高級な食事は多くの人から好まれる。日常の世界からできるだけ離れられる事ができるからだ。あなたも、友達が夢の国で大学の先生からゼミの発表を酷評された話をし、観光地でバイト先での失敗を悔もうものなら、「そんな事は忘れて! 今日は楽しもう!」と言って相手をなだめるだろう。
 この時に問題になるのが、あなたが非日常を共有していると思っている相手もあなた同様に、非日常に身を置いているか、と言う事である。あなたが夢の国でトリップ状態になっていても、隣の人間が通常運行だったら楽しみも半減してしまうだろう。
 非日常空間は、全ての人間にトリップ状態を半ば押し付ける状態で成り立つ。ネズミ耳を付けた瞬間に日常の嫌な事は全て忘れて、歓喜の声をあげながらぬいぐるみに駆け寄るくらいまでテンションが上がりきっている事が求められるのだ。それができない人間は夢の国にいるにもかかわらず、明日の朝バイトの事を思い出して、今日は帰ってから何時間寝れるかな、と考えている。夢の国でも日常にいる人間と非日常を謳歌する人間が足並みを揃える事なんてできるはずもなく、その間にできた溝はどんどん深くなっていく。そして、日常にいる人間は夢の世界では何を喋っても場違いな気がして、どんどん世界の隅っこへ追いやられていく。

 どんなに頭をひねっても、これ乗るの久しぶりだなあ、程度の事しか言えない。夢の国が夢の国である事の重圧に負けていても、乗り物の回転に合わせてあなたの身体は空しく左右に動く。あなたの気まずそうな表情には誰もまだ気づいていない、と思う。