弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

『桐島、部活やめるってよ』の感想と称して

昨晩(9/11深夜)の自分のツイートをまとめるってよ。

観たもの・読んだものの感想をツイッターでぶつぶつつぶやくのは定期的にやっているのですが、あまりにもまとまった内容だったので、自分用と称して記録しておきたいと思います。まあ実験の一つとして。

桐島、部活やめるってよ(DVD2枚組)

桐島、部活やめるってよ(DVD2枚組)

 

―以下の内容は本編のネタバレを盛大に含みます―

 

 

※誤植:大丈夫だあ→大丈夫だと。 

 

ここまでが第一部です。我ながら、ほどよく壊れていますね。

自分の実体験とリンクしすぎていて、ああええなあと思っていた橋本愛ちゃんがまさか別の男とすでに付き合っていたなんて、というシーンではダメージがでか過ぎた勢でした。

そしてまあ、若干真面目な話も書いたり書かなかったり。ここからは多少自分で注釈を加えながら、第二部。

 

具体的なシーンを上げるなら、全体集会のシーンと、体育の授業ですかね。

この映画、“金曜日”の特徴が、同じ一日を別のクラスのいろいろな生徒の視点から何度も繰り返し描く、ということ。だから観客は、A君から見たこの場面、Bさんから見たこの場面、と同じ場面を違う視点からわざわざ二回観ることになるんです。もちろん重要な場面だったら語り手全員が体験しているし、A君からしてみたら重要だけどBさんからしてみればどうでもいい場面は、A君が語り手の時は出てきても、Bさんが語り手の時はカットされる。

映画部の主人公が全校生徒の前で表彰されたという映画部からしてみれば大きな出来事でも、それに興味が無い連中からしてみればどうでもいい出来事ですから、カットされてしまう。

登場人物が何を見ているのかって言うのがこれで如実に表れるわけですね。

A君がC君に嫌なことをされてそれを根に持っていても、C君にとってみればそれはどうでもいいこと。そんな事実が、この視点リレーによって巧みに描かれているという。

それを見ているだけで、様々な立場に置かれた登場人物が、何を見て生活しているのかが一発でわかるという。これは本当に素晴らしいと思った。

それと、“高校あるある”の置き方。

体育の授業でなぜか張り切る男子生徒。遠くで自分の事を笑う女子生徒。うわああるある。しかも、負の方のあるある。 

ちなみに“青春ゾンビ”というのは【青春時代に何かしらの思い残しがあり、それを消化させることができないままに大人になってしまった人間、または死にぞこない】のこと、として僕は使っています。これ、誰発信なんだろう。

「あの子だけは純粋かと思ったか?! そんなわけねえだろ! バーカ!」的な。 

劇中の橋本愛ちゃんがかわいいんだ、これが。しかもイケてない男が好きそうな感じがね。 

つまり、僕たちが誰かに固執するあまりに盲目的になっていたり、必死に観て見ぬふりをしていること、パンドラの箱を思いっきり開いてしまう訳ですよ。

多くの人間は劇中の涼也(神木隆之介)みたいな遠くにいる女の子にあこがれるみたいな経験はしているけど、その女の子をようわからん男、いやむしろ嫌いなジャンルの男に取られる、っていう経験までしている人っていうのは少ないんじゃないかなあと。で、そういうやつは大抵そのまま卒業しちゃってるんじゃねえかなあと。

 この映画でやろうとしているのはその不完全燃焼のまま終わった思い出にもう一度火をつけて、全てを焼き尽くす行為であると僕は言いたいわけです。

この“失恋する”と言う行為。むしろ、好きだった女の子に「お前なんてクソ野郎だ! あんな男と付き合いやがって!」、もしくは「いやー、君のこと好きだったんだけどさー。あいつと付き合ってるって知った時はショックでゾンビに食われちゃえって思ったよー」ときちんと卒業する前に言えていれば、僕たちはゾンビになんてならなくて済んだのではないかと考えてしまう訳です。 

 

そして締め前に第三部。

映画の最後に、涼也(スクールカースト下位)がスクールカースト上位の男の子と会話するシーンがあるんです。劇中初めての会話なのですが、これがまあぎこちない。でも上位の男の子がすごく親しげに話しかけてくるものだから、涼也がふと、「うるせえよ」とまた親しげに返答するんですよ。これがまあ僕はすごく気に入ったシーンなのですが、観客席では笑いがちらほらと。

高校の時の僕はカースト上位の器ではないはずなのに、よく一緒にいる友達のほとんどがカースト上位の人ばかりでした。いろいろ不遇な思いもしている訳ですが、でもどうして彼らと一緒にいたのかって、多分こういうことだろうなあと。とにかく自分に自信が無い人間が、憧れているクラスメイトと親しくできるだけで、自分がいつもよりすこしだけ価値のある人間であるような気がしてくるんですよね。なんとなく自分の中ではそんな形で合点の言った場面でした。

 

あとこの映画、先述したとおりにどの場面でも語り手、中心にいる人物が決まっているんです。ここではA君、次の場面ではBさん、みたいな。

でもこのカーストが一瞬壊れる場面では、場面の中心人物といった概念が全く無くなって、ふたりが平等に描かれているんですね。今まで遠くから眺めていたクラスメイトとようやく同じ立場になる。そして、映画が終わってしまう訳です。

 

 

まあほとんどもう上映は終わってしまっているんですけどね。別に青春ゾンビじゃないあなたでも観たら面白いと思いますよ。

 

※追記:ついにDVDが発売したみたいです。

 

 

 

  

……うん、まあ、結局そうなりますよね。それに行き着くんですけどね。