弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

渋谷の街を行く

 彼女は、明治通りを駆けて行く。
 向かってくる人混みの間を縫って、履きつぶしたローファーと地面をこすり合わせながら、ずり落ちる鞄を持ちなおして、渋谷の街を行く。
 彼女が時間をかけて整えた髪の毛は、風に吹かれて崩れてしまうだろう。あんなに走ればこれだけ寒い時期でも汗をかくだろうし、若い身体にも負担もかかるだろう。走った所で予定の時間に間に合わない場合だってある。それなのに、彼女は走っている。短いスカートとマフラーを揺らしながら、彼女は走っている。

 時間に追い詰められた時、僕達は走るという選択肢を選ばざるを得なくなる。窮屈な服の中で精一杯両手足を振り回して街中を走る。その姿は誰からしても滑稽に見えてしまうものだ。しかし走っている人間に他の人間の目を気にする余裕なんてない。ただ早く両足を次々と前に繰り出しているうち、走っている人間の頭はどんどん空に近付いて行く。
 走ったら汗が引くまで身体がべとべとになるぞ。それに日頃の運動不足のせいで、怪我はしなくても、筋肉痛ぐらいにはなるだろうか。そんな問題は、後から考えればいいんだ。間に合わなかったら今週の遅刻が二回目になってしまう。ペナルティも酷い。そうならないために、今走っているんだ。
 余分な問題がいつの間にか頭の中から無くなって、僕達は気が付いたら目標の場所に一刻も早く到着する事だけを考えている。その瞬間から未来が消えて無くなる。あるのは、現在必死に走っている自分と、その目的の場所だけだ。一瞬の目的のために全力で走る自分がいる。これから死ぬまで続いて行く長い時間から、その瞬間だけが切り離されて、少しだけ浮き上がるのだ。

 最後に自分が全力疾走した日を思い出せない。まず走らなくてもいいように予定を組むし、間に合わない状況になっても走ってまで急ごうとする事も少なくなってしまった。
 僕は急げば乗れるバスを見送る。テールランプの赤い光が消えて走り去って行くバスの背中を見る事が普通になってしまった。寒空の下で何処にも行けなくなってからやっと、あの瞬間に走っていればよかったと、数分たてば忘れてしまうような小さい手遅れと後悔を味わっている。
 でも、僕の中ではそんな物はどうでもいいと思っていて、持てあました時間を消費して、余計なエネルギーを使わない事に優先順位が変わってしまっていた。

 彼女は明治通りから山手線のガード下を抜けて、赤に変わる前、ギリギリの信号を渡り切った。器用に人混みを掻き分け、すぐに僕からは見えなくなってしまう。
 彼女は、これからどこに行くのだろうか。
 走っている彼女は、毎日から少しだけ浮き上がる。来年からやってくる受験戦争やそれにまつわる母親の小言、大嫌いなアイツや夕方の塾の事なんて、駆けだしてすぐに振り落としてしまった。
 ここでは無い何処かに向かって、彼女は必死に足を動かしている。
 そこでしかない目的地に向かって、彼女は渋谷の街を駆けて行く。