弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

僕はその箒で空を飛ぶ

 僕はかつて通っていた中高一貫校で、入学当初から学校の剣道部に入っていた。同じ学年にいる剣道部の男子は僕ともう一人だけで、ここでは彼を仮にK君とする。K君は中学入学当初から170センチを超える高身長で、非の打ちどころも無い端正な顔立ち。男女問わず友達も多く、先輩を負かすくらい剣道の腕も良かった。目立つ彼の横で、もうひとりの部員である僕は完全に影の存在だった。人数が少ないせいで先輩からは良くしてもらったが、高校三年の終わりで引退するまでに何度部活を辞めようと思ったかわからない。つまり、僕は彼に対して大きなコンプレックスを抱いていた。
 事件は高校一年の時に起きる。僕とK君は同じクラスで、たまたま掃除の班が同じだった。その日は教室の掃除当番だった。教室の掃除をする時は、5・6人の班のメンバーを、床を箒で掃く係であるとか、黒板を掃除する係であるとか、窓や棚を拭く係などに分ける。その係は真面目に決める訳では無く、早い者勝ちで決まる事が暗黙の了解になっていた。昨日は黒板の担当をしたので今日は箒の係をやろうと、僕は終礼が終わってからすぐに掃除用具入れに向かう。しかし扉をあけると、そこには普段は3本あるはずの箒が1本たりとも残っていなかった。すぐさま辺りを見回す。1本は掃除用具入れに席が近かった男の手元に。あとの2本は掃除の班にいる女子の手元にあった。そして彼女はそのまま教室を横切り、自分が持っていた箒のうち1本をそこにいたK君に手渡したのだ。

 貴方は、この僕の気持ちがわかるだろうか。『早い者勝ちのルールを破った』という単純な事に対する怒り。以前から彼に対して抱いていたコンプレックスが、最もわかりやすい形で目の前に現れた事に対しての落胆、自分への憤り。笑顔でもう一本の箒をK君に渡す彼女の姿を見ながら、これから俺は箒を目の前で奪われ続けて生きて行くのかと、世界の縮図と自分の未来を見た気がした。

 その日、家に帰った僕は当時自分が開設していた、友達の他には一部の人しか見ていないようなブログにこの出来事の顛末を書いた。不甲斐ない自分への怒りをそのまま彼女に向け、高校一年生のつたない語彙と有り余る勢いで、次々と湧いてくる悪態を書きなぐった。いつもよりも強めにキーボードを叩き、どうにかあの感情を言葉にしようと文字を並べ続ける。溢れてくる物は、独りよがりで劣等感をこじらせた男の言葉だけだ。そんなどうしようもない言葉で、誰かにこの悔しいだけじゃなく、怒っているだけじゃなく、どうしようもない気持ちを知ってもらいたかった。完成した短い記事に対する数少ない読者からの反応が薄かったのは言うまでも無い。

 それ以来、僕はブログで自分の感情と向き合う事が多くなった。言葉がいくら理屈っぽくても、抽象的でも、それで感情と瞬間を閉じ込めてやりたい。大学生になって、音楽や本の事を文章にする事も多くなったが、どうしてもそれを書くにしても『自分から湧きあがってくる何か』と向き合う必要が生じる。それをできるだけハイファイな状態で言葉にしたかった。

 自分でも、どうしてここまで言葉にのめり込んだのかはわからなかったが、近頃では『モテなかったから』だと自分で結論が出ている。自分がもしK君ばりのモテ男だったら感情を文字にする必要も無かっただろう。高校生の時なんて、文章を書く事より女の子と遊ぶ方が楽しいに決まっている。結局は昇華の手段でしか無いのかもしれない。あの頃からずっと自分のコンプレックスを燃やして、今まで文章を書いているのだ。

 僕は今日も文章を書きながら、いつか誰かが箒を渡してくれる日が来るのを信じている。