彼女の呼吸を聞きながら
(井口奈己監督『人のセックスを笑うな』作品批評)
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井口奈己監督作品『人のセックスを笑うな』は、女性が出す物音に耳を澄ませる映画である。
作品中最も印象的なのは、全編通して環境音が比較的大きく録られているということだ。ロングショットで長回しを行った作品は数多くあれど、登場人物たちの台詞がかき消されるほどにまで環境音の存在感が強い作品は滅多に見られないだろう。
それが最も顕著に表れるのが、ゆりと喫煙所で再開したみるめが彼女の後を追いリトグラフ研究室まで足を運ぶシーンだ。屋外でみるめが煙草を吸うシーンでは友人のえんちゃんと堂本との会話も行われるが、それに覆いかぶさるように物語に全く関わらない人間たちの話し声や、大学構内を行く人の足音、様々な関係ない音が耳に付く。みるめがリトグラフ研究室に入るまでの屋内でも同じだ。廊下に響くみるめ自身の足音、誰かの声、気にならないほどの物音をしっかりと聴くことができる。
しかし、みるめがゆりに誘われてリトグラフ研究室に入った時、防音性が強い部屋なのか、今まであれだけ気になっていた環境音が一気に小さくなる。廊下に響く物音が、急に我々の耳に届かなくなるのだ。やはりそれでも物音が消えてなくなるわけでは無い。ローラーのような道具に伸ばしたインクが貼りつく音や、固い紙を持ち上げたときのそれが大きく歪む音、ゆりの呼吸する音にまで、我々は耳を澄ませることになる。目の前に大人の女性が現れて彼女に夢中になるみるめのように、我々はゆりの姿を延々と目で追いながら、彼女が立てる物音に耳を澄ませるのである。
このシーンに限らず、みるめとゆりが個室で二人きりになるシーンのほぼ全ては、外の物音から遮断されたシーンとして描かれる。前述したリトグラフ研究室のシーンをはじめとして、ゆりのアトリエ、みるめがゆりを連れ込んだ石膏像がたくさん並んでいる教室。それら全てがみるめが生きる日常から、ゆりと共有する時間という非日常を切り取ることになるのである。
そんな比較的口数も少ない、大人の女性のゆりとは対照的に描かれるのが、みるめの友人のえんちゃんである。行動は突拍子も無いが口数の少ないゆりと、おせっかいを焼きながらとにかく喋るえんちゃん。落ち着いたトーンで喋るゆりと、耳に付くけたたましい声で喋るえんちゃん。彼女はみるめに思いを寄せている女性として描かれるが、ゆりとは違ってえんちゃんとみるめが個室で二人きりになるシーンはふたつしかない。観覧車と、酔いつぶれて泊まったビジネスホテルのシーンである。
えんちゃんが出す音のほぼ全ては、ゆりの出す音のような、他の大きな音でかき消されてしまう“繊細さ”とは無縁だ。彼女は観覧車のゴンドラを揺らし、みるめに掴み掛り、そして常に大きな声で喋り続ける。観覧車のシーンは彼女を象徴する場面であると言える。
しかし、その後に彼女がみるめと二人きりになるビジネスホテルのシーンでは今までとは多少の変化がみられる。部屋にかつぎ込んだみるめの上を飛び回っている時点では何も変化はない。しかし、彼女がみるめの上にのしかかった瞬間、それまで鳴っていた音が止むのだ。えんちゃんもみるめも一言もしゃべらなくなり、彼女が少し動くたびに羽毛布団がこすれる音と、どこかでなる空調機の音、そしてみるめの呼吸だけが聞こえる。それはまるで、ゆりと時間を共有している時のような音だ。えんちゃんはみるめに触れようとすることで、ゆりのような大人の女性になろうとするのである。
大人になろうとしているえんちゃんを目の前にしても、みるめの口から出てくるのは彼女の名前ではなくゆりの名前だ。考えてみれば観覧車のときもみるめはゆりのことばかり考えていたじゃないか。
作品の最後、堂本に唐突にキスをされたえんちゃんは、それまではそっけなく接していた堂本に対して、思わずみるめに対して出すような声をあげて怒り出す。一度は大人になりかけた彼女も、まだまだなり切れていない、ということだろうか。