弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

あなたが私に貸したもの

 あなたがわたしに貸したもの。ナンバーガールのライブ盤。
 
 大学に入学したばかりの僕は、学園祭でバンドを組み、これをコピーしようとナンバーガールのCDを出会ったばかりのバンド仲間から借りた。しかし、結局バンドメンバーが集まらずに学園祭には出演できず、その仲間とは数回顔を合わせただけですっかり疎遠になってしまった。持ち前の人見知りも影響して結局CDを返す事は出来ないまま、それは僕の家で長い年月を過ごす事になる。
 部屋を掃除したり探し物をしたりする時そのCDは常に僕の目の端にあって、その度に僕は一瞬だけバンド仲間だった彼の顔を思い出して、ああこれを返さなければ返さなければ、いや返さないでしらばっくれてしまおうかと、気を揉むものの、常に見て見ぬふりをしていた。忘れた事にしていれば、もう一度彼にわざわざ会って気まずい思いをする必要も無いし自分にとっての都合のいい逃げ道もできるし。
 しかし、後ろめたい気持ちを抱いている相手と言うものはなかなか忘れられないもので、僕は連絡を取らなくなって数カ月、一年と経っても彼の顔も、名前もフルネームで覚えていた。僕の生活圏からはとうの昔にフェードアウトしているクセに、僕はどうしても彼を忘れることができなかった。彼もスピッツよろしく僕の心の片隅に居座る事は本望では無かっただろうが、僕はどうしても定期的に彼の事を思い出してしまう。いや、物を借りて返していない相手を忘れたくても忘れられないなんて酷い話ではあるんだけど。
 しばらく返せていない借り物は、まるで持ち主の生き霊が宿ったかのように僕の部屋で異常な存在感を放つ。僕は例のCDを目にする度に彼の事を思い出してしまうように、借りているものはどんなに見慣れても決して自分の物にはなってくれない。そして、きっと僕が貸している物に対してだって友達は同じような気持ちを抱いているに違いない。
 そうだ。僕が例のCDを見る度に彼の顔が一瞬頭をよぎっていたように、僕にしばらく借りものを返していない友達も、僕のCDやギター、本を見る度に僕の顔が浮かべばいいと思う。常に部屋の片隅に僕が体育座りをして、上目遣いで自分を眺めているような気持になればいいし、なるだけはやくこの生き霊を部屋から追っ払わないと、と思いつづけながら返すタイミングを逃し続ければいいと思う。そうすればどんなに疎遠になっても彼らは定期的に僕を思い出す事になるだろう。

わたしがあなたに貸したもの、お勧めバンドのライブ盤。
わたしがあなたに貸したもの、初めて買ったジャズベース。
わたしがあなたに貸したもの、好きな作家の文庫本。

わたしがあなたに貸したもの、忘れているけどなんかある。


 結局、例のCDは彼と僕の間にいる共通の友人を通して数年ぶりに持ち主の手に戻る事になる。間に入ってくれた友人には、僕の存在をできるだけ隠してなんとなく渡しておいて、とか重ね重ね頼み込んだ。そしてついに、僕は自分の部屋に常に存在する彼の幻影から解放された。これで机の隅につねに存在していた黒いCDケースに怯える必要も無くなって、僕はそのうち彼のフルネームを忘れて、いつのまにか顔も思い出せなくなる。そもそも深い友人関係を育んだ訳ではなくって大学に入学したばかりの時期にたまたますれ違った友達のひとり、と言うだけだし、後ろめたい気持ちが無くなったら僕はすぐに彼の事を忘れてしまうと思う。