『桐島、部活やめるってよ』の感想と称して
昨晩(9/11深夜)の自分のツイートをまとめるってよ。
観たもの・読んだものの感想をツイッターでぶつぶつつぶやくのは定期的にやっているのですが、あまりにもまとまった内容だったので、自分用と称して記録しておきたいと思います。まあ実験の一つとして。
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―以下の内容は本編のネタバレを盛大に含みます―
うん、まあ、ええと、ですね
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
ほら、ね。好きな女の子がね、いるじゃないですか、クラスに。で、普段はそんなに面と向かって喋ったりしないんだけどさ、たまーに他の人がいないときにお喋りしたり、メールで連絡取ったりするわけ。こっそり。誰にも気付かれないように。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
でもね、その好きな女の子がいる仲良し女子グループがさ、大っ嫌いなのよ、俺は。あの女とかいっつも偉そうにしてるしさ、あの横の女は笑い声が下品だし、いっつも群れて行動してるし。なんか女子だけで結界張ってるし。そういうのがすっごい嫌いなの、俺は。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
でもね、そんなグループの中でもあの子だけは違うんだよ。大きな声だして笑ったりもしないしさ、俺なんかにも声かけてくれるしさ。第一、あんな下品な連中と雰囲気からしてまず違うじゃない。いや違うんだって。あの子に限ってそんなことはないんだって。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
そうだって、あの子に限ってあんな連中と同じような事やってるわけないじゃないの。うん、いや、俺には分かるから。うん。だってみんなよりも付き合い長いもん。そんな気がするんだって。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
ただ、蓋を開けたらどうよ。まさかあんな何も考えてないようなチャラチャラした男とあの子が誰もいない教室でいちゃいちゃしてると思わないじゃない。挙句あいつは無害だから知られても大丈夫だあ 聞こえてるから。全部聞こえてるっつの。ああもう、わっけわかんねえよもう。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
※誤植:大丈夫だあ→大丈夫だと。
そういえばあれじゃん、あの時、ひとりで映画観に行く格好じゃなかったよ。完全なデート服だったじゃん。やめろやめろ、その日のことを詳細なディティールを持って語るのはやめろ。ケンカした勢いで映画館飛び込んだとか言うのをやめろ。そこでたまたまあいつと会ってさあとか言うのをやめるんだ。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
うるさいうるさいうるさい、お前らみんな狂ってやがる。食らい尽くせ。お前なんかゾンビに食われてしまえばいいんだ。うわあああああああああああああああああやめろおおおおおおおおおおおおおおおおおやめてくれえええええええええええええええ
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
…っていうのが、僕の「桐島、部活やめるってよ」の感想ですね
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
ここまでが第一部です。我ながら、ほどよく壊れていますね。
自分の実体験とリンクしすぎていて、ああええなあと思っていた橋本愛ちゃんがまさか別の男とすでに付き合っていたなんて、というシーンではダメージがでか過ぎた勢でした。
そしてまあ、若干真面目な話も書いたり書かなかったり。ここからは多少自分で注釈を加えながら、第二部。
なんというかまあ、まず「学校あるある」の細かさと、冒頭“金曜日”の視点を分けた描き方っていうのが凄かったね。この人には大した問題でも、この人からすれば別に興味ない。この人のした何気ない行動が、あの人を傷つける、みたいなのがすごーくリアルだったなあと言うのがひとつ。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
具体的なシーンを上げるなら、全体集会のシーンと、体育の授業ですかね。
この映画、“金曜日”の特徴が、同じ一日を別のクラスのいろいろな生徒の視点から何度も繰り返し描く、ということ。だから観客は、A君から見たこの場面、Bさんから見たこの場面、と同じ場面を違う視点からわざわざ二回観ることになるんです。もちろん重要な場面だったら語り手全員が体験しているし、A君からしてみたら重要だけどBさんからしてみればどうでもいい場面は、A君が語り手の時は出てきても、Bさんが語り手の時はカットされる。
映画部の主人公が全校生徒の前で表彰されたという映画部からしてみれば大きな出来事でも、それに興味が無い連中からしてみればどうでもいい出来事ですから、カットされてしまう。
登場人物が何を見ているのかって言うのがこれで如実に表れるわけですね。
A君がC君に嫌なことをされてそれを根に持っていても、C君にとってみればそれはどうでもいいこと。そんな事実が、この視点リレーによって巧みに描かれているという。
それを見ているだけで、様々な立場に置かれた登場人物が、何を見て生活しているのかが一発でわかるという。これは本当に素晴らしいと思った。
それと、“高校あるある”の置き方。
体育の授業でなぜか張り切る男子生徒。遠くで自分の事を笑う女子生徒。うわああるある。しかも、負の方のあるある。
いわゆる“青春ゾンビ”組がこの映画で大きなダメージを受けているのって、“あの頃の苦い記憶がよみがえる”からじゃなくって、“あの頃に経験できなかったきちんとした失恋を体験させられる”からじゃねえかなあと思った。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
ちなみに“青春ゾンビ”というのは【青春時代に何かしらの思い残しがあり、それを消化させることができないままに大人になってしまった人間、または死にぞこない】のこと、として僕は使っています。これ、誰発信なんだろう。
そもそもどうしてあの頃を引きずっているのかって、“きちんと失恋を経験していない”からっていう人も割と多いんじゃねえかなあと。たまーに喋るくらいの女の子を好きになっちゃって、遠くから眺めてたらそのまま卒業しちゃいました、みたいな人が当時にコンプレックスを抱えたまま大人になるのよ。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
この作品、先程のツイートでも書いたように、映画の最後で「どうせお前が好きだったあの子もお前が知らない所でよくわかんない男と付き合ってんだよ」と言われる。で、青春ゾンビ組が大事にしていた思い出を「ちょっと貸してー」て言ってからバーン!って床に叩き付けて粉々にされるわけ。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
「あの子だけは純粋かと思ったか?! そんなわけねえだろ! バーカ!」的な。
もうあれだよね。そんなことをされたら、やめろおおおおおおおおお、って叫ぶしかなくなるよね。だって橋本愛ちゃん、そういうタイプだもん。遠くから眺めていたいタイプだもん。そりゃあちょっと仲良くなったら好きになっちゃうし、なんとなーく遠くから眺めていたいもん。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
劇中の橋本愛ちゃんがかわいいんだ、これが。しかもイケてない男が好きそうな感じがね。
そんな、“あの頃を追体験させつつ、あの頃体験できなかった(したくなかった)ことを体験させられる”というのがもうひとつ。これがまあとにかくえげつない。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
つまり、僕たちが誰かに固執するあまりに盲目的になっていたり、必死に観て見ぬふりをしていること、パンドラの箱を思いっきり開いてしまう訳ですよ。
多くの人間は劇中の涼也(神木隆之介)みたいな遠くにいる女の子にあこがれるみたいな経験はしているけど、その女の子をようわからん男、いやむしろ嫌いなジャンルの男に取られる、っていう経験までしている人っていうのは少ないんじゃないかなあと。で、そういうやつは大抵そのまま卒業しちゃってるんじゃねえかなあと。
この映画でやろうとしているのはその不完全燃焼のまま終わった思い出にもう一度火をつけて、全てを焼き尽くす行為であると僕は言いたいわけです。
この“失恋する”と言う行為。むしろ、好きだった女の子に「お前なんてクソ野郎だ! あんな男と付き合いやがって!」、もしくは「いやー、君のこと好きだったんだけどさー。あいつと付き合ってるって知った時はショックでゾンビに食われちゃえって思ったよー」ときちんと卒業する前に言えていれば、僕たちはゾンビになんてならなくて済んだのではないかと考えてしまう訳です。
そして締め前に第三部。
あと、これは完全に観た人向けなんだけどさ、映画の最後の「うるせえよ」のシーン。あれ、俺はすげえいい場面だと思ったんだけどさ、劇場内では笑いが起きてたんだよね。その笑う場所が人と違うっていうのも劇場で見たせいかすっごい感じていましたとさ
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
あの同性なのに全く喋れなくてあいつすごいなあと思っていた人となんとなく親しく喋れた瞬間の嬉しさっていうのは、あの不遇さと経験してる人じゃないとわからないんだろうなあと
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
映画の最後に、涼也(スクールカースト下位)がスクールカースト上位の男の子と会話するシーンがあるんです。劇中初めての会話なのですが、これがまあぎこちない。でも上位の男の子がすごく親しげに話しかけてくるものだから、涼也がふと、「うるせえよ」とまた親しげに返答するんですよ。これがまあ僕はすごく気に入ったシーンなのですが、観客席では笑いがちらほらと。
高校の時の僕はカースト上位の器ではないはずなのに、よく一緒にいる友達のほとんどがカースト上位の人ばかりでした。いろいろ不遇な思いもしている訳ですが、でもどうして彼らと一緒にいたのかって、多分こういうことだろうなあと。とにかく自分に自信が無い人間が、憧れているクラスメイトと親しくできるだけで、自分がいつもよりすこしだけ価値のある人間であるような気がしてくるんですよね。なんとなく自分の中ではそんな形で合点の言った場面でした。
あとこの映画、先述したとおりにどの場面でも語り手、中心にいる人物が決まっているんです。ここではA君、次の場面ではBさん、みたいな。
でもこのカーストが一瞬壊れる場面では、場面の中心人物といった概念が全く無くなって、ふたりが平等に描かれているんですね。今まで遠くから眺めていたクラスメイトとようやく同じ立場になる。そして、映画が終わってしまう訳です。
っていうのが僕の感想ですね。一連のツイートを読んでちょっとでも身に覚えがあると感じた人は是非映画館へ行っていっぺん死んでくればいいと思います。
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
まあほとんどもう上映は終わってしまっているんですけどね。別に青春ゾンビじゃないあなたでも観たら面白いと思いますよ。
※追記:ついにDVDが発売したみたいです。
あの赤カーディガン絶対許さねえ
— 某し/S. Ito (@Boshi_OS) September 11, 2012
……うん、まあ、結局そうなりますよね。それに行き着くんですけどね。