弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

青春が終わっても日常は続いてしまう ――Base Ball Bear『二十九歳』

 Base Ball Bear(以下、BBB)の5枚目のアルバム『二十九歳』がリリースされた。楽曲ではメンバー4人以外の音、つまり声とギター、ベース、ドラム以外の音を使うことなく、言ってしまえば自分達のサウンドに制限を設けることによって制作を行ってきた彼らによる、ギターロックの一種の到達地点のようなアルバムと言っていいと思う。

二十九歳(初回限定盤)(DVD付)

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  サードアルバム『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』以降のBBBの歴史は、ギターロックの可能性を拡張する実験と共にあった。『LOVE & POP?』ではギターやベースに強いエフェクトを掛けることによってキーボードやシンセサイザーの音を再現し、ギターでは無い音を用いてギターロックを行った。続く、小出祐介(敬称略)が公開プリプロダクションと銘打ってリリースされた3.5枚目のミニアルバム『CYPRESS GIRLS』、『DETECTIVE BOYS』では、ヒップホップやR&B、ダブなどの他ジャンルのサウンドをバンドに取り込むことによって、ギターロックの可能性を拡大していくのだ。ギターロックという言葉を分解して考えるならば、『LOVE & POP?』では〈ギター〉の拡張二枚のミニアルバムでは〈ロック〉の拡張を行っているとも言える。BBBにとってサウンドの制限とは決して〈縛り〉などではなく、ギターロック、もしくはロックバンドという媒体のポテンシャルを最大限に引き出すための手段だった。

 今になって思えば、四つ打ちのドラムパターンを取り入れギターサウンドとダンスミュージックの融合を図ったロックバンドが認知されるようになった頃、その最初期にリリースされたのが『十七歳』だった。ゼロ年代後半から現在のギターロックについて考えたとき、BBBの名前を出さずにそれを語るのは不可能だろう。

 

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代替可能だっていいじゃないか ――今月のUstream『スタッキング可能』前口上

 

スタッキング可能

スタッキング可能

 

 

 僕のTwitterやこのブログを定期的に読んでくださっている方は薄々気づいているんじゃないかなと思っているのですが、僕は以前から繰り返し繰り返し〈あるがままの君でいて〉幻想に対して中指を突き立てているんですよ。あるがままを隠れ蓑にして自分の全部を受け入れて貰おうと思ってるだろお前。そうった幻想は向上心の否定に繋がってしまうんじゃないのかい。あるがままの君って一体何なのよ、と。以前の記事、『今だからこその岡村靖幸』ではそういうことをまるっと書いてみたんですけどね。〈一億総あるがまま時代〉とか言っちゃったりね。

 僕はそんなことはないと思っているのですが、一般的には〈他人と関わるためのキャラクターを演じる〉ということは非常にネガティブなものとして扱われていて、できるだけ素直に、ありのままの姿で生きていたいというのが一般認識。いや、偽るところまで行ってしまったらやりすぎですけど、人と人との関係にはその人同士にとってちょうどいい距離があって、常に一分の一の自分で他人と繋がらないといけないとは思わないんですけどね。どこかで読んだところによると「人間関係におけるキャラクター付けは相対的に行われる」ものですから場所によって求められる人物像も違うし、確固たる自分自身なんて追い求めずにゆるーく周囲と関わっていく方法ってあるような気がしているんですけどね。甘いですかね。

 

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ヒトリエ / wowakaに時代が追いついた――〈踊れるロック〉の終わり? part.2

 柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』を読みました。2007年に初音ミクが発売されてからブームの最盛期としている2010年までの3年と少しをアメリカのユースカルチャーの転換点である〈サマー・オブ・ラブ〉の三回目として、その時期にインターネットのクリエイター界隈で何が起きていたのかを語る通史本です。恐らくこれから先、手を変え品を変えサブカル批評の中で初音ミクは語られると思いますが、その際に一番最初に読むべき本がこれになるんじゃないかな、と。それ以前に、初音ミクを批評の土俵の上に押し上げた本なのかもしれないです。

  僕はあまり初音ミクボーカロイド界隈に明るいわけではありませんが、柴さんが最盛期としている2010年前後はニコニコ動画でいろいろ聴きあさっていまして。『ボカロ名曲集○○分』みたいな動画を作業用BGMとしてレポートを書いていた時期です。本の中で名前が挙がっているボーカロイド楽曲のプロデューサー、通称ボカロPのSupercellのryo氏やらハチ氏やらの名前を知ったのもこの時期ですね。ryo氏はボーカロイドではなく生の人の声を使うことでsupercellの活動を継続していますし、ハチ氏は本名で、自分で歌って音楽活動をしていますね。

 

アンハッピーリフレイン

アンハッピーリフレイン

 

  で、その中で僕がCDを買ってまでよく聴いていた人に、wowaka氏というボカロPがいましてね。彼も今僕が名前を挙げたボカロPたちが活躍していたボカロ楽曲の最盛期に楽曲投稿をはじめ、ニコニコ動画で大人気のボカロPでした。なんせ僕が名前を知っているくらいですから。

 当時、まだ今ほどたくさん音楽を聴いていた訳では無い僕は、彼の楽曲を初めて聴いたときにとにかくびっくりするんですよ。最初の感想は、「早え!」という。とにかく早いんです。ただでさえ早いのにハイハット乱れ打ちで一小節16分割は当たり前、聴いたことも無い電子楽器のようなフレーズを無理やりギターでガシガシ弾いてるし、当時ロックバンドではあまり聴かなかったキーボード/ピアノの音も入っていて、とにかくそれまで日本のロックバンドしか聴いていなかった僕は、「なんじゃこりゃあ!」とびっくりして、彼の楽曲にのめり込んでいく訳です。「裏表ラバーズ」や「ローリンガール」、今でもやっぱり格好いい。そして、wowakaのアルバム『アンハッピーリフレイン』が発売されたのが2011年の春。買って聴きました。

 今になって思えば、『初音ミクは…』の中で何度も名前が挙がるsupercellのryoやlivetuneのkzはある程度はポップス寄りの楽曲制作をしていますが、当時のボカロ界隈にはメジャーレーベルからリリースされる音楽では絶対に聴かないようなことをやっている楽曲がすごく多かったような気がします。滅茶苦茶なスピードの曲や変拍子の曲、楽曲の音バランスも変なものが多かったような気がする。

 アルバム以降、彼はニコニコ動画への投稿もやめてしまいネット界隈からは離れて行ってしまうのですが、数か月前の僕に彼の新しい情報が飛び込んできました。「wowaka、バンド〈ヒトリエ〉を率いてメジャーデビュー」、と。この数年間でそんなことが起きていたなんて。調べてみたら、普通に顔を出して活動していました。

 

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〈よくわからない人〉を目の前にするとき ――今月のUstream『白ゆき姫殺人事件』前口上


『白ゆき姫殺人事件』予告編 - YouTube

白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)

白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)

 

  例えば、「他人との人間関係を円滑にするためには相手から〈○○な人〉と思われるようにしなさい」という言葉があって。例えばそれが「真面目な人」であるとか「面白い人」であるとか、そんなものでいいから、それが勘違いであってもどんな人だと一度断定してもらうことが大事、ということらしいです。まずどんな人なんだと一度理解してもらう。誤解を解くのは後でいい、らしい。

 ここで注目しないといけないのは、どんな人なのかわかり辛い人は相手にし辛い、ということで。真面目な人だったらこう関わるのが吉、とか、面白い人だったらここまで冗談を言っても大丈夫、ということはいくらあっても、「よくわからない人」相手では対処の仕方がありませんから。「初めての人に会ったら、直感で自分の記憶の中でその人と一番似ている人を想像しましょう。多分、あなたの感覚は大体あってる」という言葉もあるように、あまり好ましくない事だと思いつつ、みんな初対面の人を前にすると相手がどんなジャンルの人か、少なからず自分の中でカテゴライズしているんだと思います。で、どこにもカテゴライズできない人は、「よくわからない人」になってしまう。

 

 今、いろいろなところで話題になっている湊かなえ原作の映画『白ゆき姫殺人事件』ですが、これを〈バカッター〉モノであるとか、そういう語り方をすることもできると思うのですがまあそれは誰かがやっていることなので僕がやらなくてもいい。原作を読んだ時の感想としましては「こういう、人を外堀から埋めていくような伝聞モノって好きなんだよなあ、壬生義士伝とか読んだなあ」くらいの感想だったのですが、映画を観るともっと原作のいろいろなところがわかるもんですね、この作品を〈人間観察〉モノだととらえても面白いと思うんですよ。

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愛とエゴとの素敵な関係 ――岡村靖幸w小出祐介『愛はおしゃれじゃない』

 

愛はおしゃれじゃない

愛はおしゃれじゃない

 

  「ラブレターを書くときは自分が相手のことをどれだけ好きかでは無く、相手が自分に会いたくて会いたくてしかたがなくなるように書け」という言葉を聞いたことがある。そのしぐさのひとつひとつが素敵です、特に思いっ切り笑ったときに出てくる歯茎がその歯茎が悩ましい、と書きたくなるところを、あなたのことを考えていると毎晩眠れなくなってしまって翌日の朝は大変です、と書く。翌日はずっとモンスターエナジーをガブ飲みしながら仕事をしています、と書く。相手の魅力をたくさん言葉を積み上げて書いていくんじゃなくって、自分のことを少しでも考えてもらおうとするという姿勢が大切、ということだと勝手に解釈しているが、その本質を上手に抜き取れるなら僕は今頃ラブレターマスターになっているはずだと思う。そういえば京都から能登半島に飛ばされたどこぞの大学院生が習得する「恋文の技術」は、「恋文を書こうとしない」ことが極意だったような気がする。最終的に、恋文の代筆業者こと守田くんは、とても素敵なラブレターを書くことになる。
  それなのにまあ僕ときたら、いろいろ大切なもの置き去りにしても、やっぱり君の話がしたくてしたくてしょうがない。どんな時だって君君君君。もう、相手が何を考えているかなんてもう関係無いよ。君の指先が素敵です。君と今週末、吉祥寺に行きたいです。君にジュースを買ってあげる。恥ずかしげも無く、よくもまあそんなテンションになれるもんだ。我ながら。

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今だからこその岡村靖幸 ――バブル世代の「どぉなっちゃってんだよ」、さとり世代の「ビバナミダ」

 

 

 

 ポップスに限らず、世間の至る所に〈あるがまま〉原理主義が広がって久しい。自分らしく生きていきたいという歌詞が愛され、書店の平積みには無理をせず生きていくためのハウツー本が並べられている。誰もが自分らしく無理をせず、頑張らずに生きていきたい。思い切って、一億総あるがまま社会、と言い切ってしまいたいくらいだ。しかしこういった〈あるがまま〉原理主義の裏で、恐らく周りの人に受け入れてもらえないであろうありのままの自分をひた隠しにし、無理をして別の自分を作り生きている人がいるのも事実であり、それ以上にあるがままで生きている人々のシワ寄せを受けている人ももしかしたらどこかでこっそりと生きているかもしれない。〈あるがまま〉原理主義は、飾らない本来の自分を見せても誰からも愛してもらえるだろうと思っている人のためにある言説なのだと僕は思っている。それに比べて、しっかり化粧をして小奇麗な服に身を包み、他人もしくは自分のために自らをばっちり整えた上で「ナチュラル系」を称する女性向けファッション誌の方がよっぽど好感が持てる。理想と現実のギャップに悩む人々に、誰もが、今のままでいいじゃないか、と言う違う違う、そうじゃない。あるがままの君が好きといくら言われても、あるがままの自分を、自分自身が好きになれないことが問題なのだ。このご時世、ナチュラルな自分が好きになれない人はどうやって生きていけばいい。
 今から20年以上前に生み出された岡村靖幸の楽曲に僕が惹かれたのは、そこには一切の現状肯定が存在していなかったからかもしれない。彼の楽曲で描かれる登場人物たちは、誰もが理想と現実のギャップに身をよじり、それでも理想とする姿に自分を近づけるために虚勢を張ることを厭わなかった。

ビバナミダ(スペース☆ダンディ盤)(DVD付)

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音楽の〈揺れ〉とか〈うねり〉とか ――〈踊れるロック〉の終わり?

 本当はこんなものを書いている時間なんてない。

 OKAMOTO’Sを聴いています。
 ちょっと前までは気鋭の若手バンドくらいのイメージしか無かったんですが、彼らがくるりの岸田さんはじめクリエイターにまあ愛されていること愛されていること。それでまあこれはチェックしとかなあかんと思いまして。それに加えて、昨今のオカモトコウキさんの発言や、岸田さんプロデュースの新曲も素晴らしかったので。新作アルバムを聴くのはもう少し後。
 それで一番印象的だったのが、ものすごく横ノリの曲が多いなあという印象でして。


OKAMOTO'S / ラブソング LOVE SONG - YouTube

Let It V(初回生産限定盤)(DVD付)

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 まだ聴いていない新作。楽しみ。

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